あいだにあるもの(クオリア)

「私の首から下の身体」は世界の中に在ります。 “わたし”はその世界を外から観ているものです。 

奇跡が続いている。

NO.203

“何が起こってもよい”

これは、「投げやりに成っている状態」ではなくて、
「起こる出来事」に質量を置いてない状態です。

この状態の人は、
ただ「世界に起こっていること」が、“奇跡に観えています”

「目の前に現れていること」が奇跡なのです。

このときの安心感と開放感は素晴らしいものです。

これは、無意識でスルーしているのとは、全く違います。

この人の中を、「世界」が通り抜けているのです。

この奇跡は、全てのものに「質量」を与えないかぎり、ずっと続いていくのです。


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わたしは魔法使い。

NO.202

わたしは魔法使い

ここに有るものを生み出している魔法使い


いま、目の前のデスクの上が散らかっている

その姿を見て、笑ってしまった

各々が存在を主張している

その頑張っている様子が可愛らしすぎて
笑ってしまった


そして、何よりこれらの姿が観れていることに驚いた

“このような世界”が、ここに有ったことに驚いた

本当に可愛らしい

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月を指差す「指」は、月ではない。

NO.201

「出来事」に、『言葉を与える(翻訳する)』と、「違うもの」に切り替わってしまいます。

道元が言った、
  “月を、指差す「指」は、月ではない”

これは、月を、“真理”に喩えて云っているものなので、
  真理を、説明する「言葉」は、真理ではない と云うことになります。


また、この“真理”を、「出来事」に置き換えてみると、さらに“真理”があぶり出てきます。
  「出来事」を、説明する「言葉」は、出来事ではない

この「言葉」と云うのが、「翻訳」になるので、
「出来事そのもの」を、何もはさまずに観れているとき。

つまり、「出来事そのもの」が、「出来事では無くなっている状態」を観れているときなのですが、
それを観ている状態が、“真理”です。

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神はそこに居る。

NO.200

私と世界とが接している、その“あいだ”に神が居る。

その神は常に前を向いて、ここでやっている。
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「私の世界」を幸せにする。

NO.199

私と世界を引っ付ける

その状態で、“世界を幸せにしてあげる”

すると「世界」は同じものを返してくる

と云うか、イコールなのだ

「世界」はとっても幸せだ

“わたし”はとっても幸せだ

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