あいだにあるもの(クオリア)

「私の首から下の身体」は世界の中に在ります。 “わたし”はその世界を外から観ているものです。 

“永遠に富んでいる者”。

NO.198

“よく聞きなさい。
富んでいる者が天国に入るのは、難しいものである。

また、あなたがたに言うが、
富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。”


この話で、イエスが言っている「富んでいる者」とは、
すでに「富」を持っていて、それに「執着している者」のことを指しています。

「富」とは、
「お金」だけに限らず、「社会的地位」、「今まで蓄えてきた知識」など全般的なことです。

これはつまり、「今、持っているもの」を、ず~っと抱えたまま「手放さない為の努力をしている者」のことです。
「過去のもの」を、ず~っと握りしめている者のことです。

その者は、“生”を固定してしまっています。

しかし、「天の王国」は、“生きているもの”です。

毎瞬毎瞬、更新されていくのです。

そのことを理解している者、
「その理解すらも捨てている者だけ」が、“永遠に富んでいる者”と成っています。

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「出来事」が「思考」に成ってしまっている。

NO.197

「出来事」が起きます。

その出来事に「あ~だ、こ~だ」と意味を付け始めます。

そして「出来事」より、「あ~だ、こ~だ」の方が主体に成っていきます。

その「あ~だ、こ~だ」は、「出来事」ではなく、「思考」です。

「出来事」が、「思考」に置き換わってしまったのです。

「私」は、それに気付いていません。


「私が体験した出来事」は、「意味(思考)」に成ってしまったのです。

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“それ”はやってくる。

NO.196 

全くの無抵抗でここに在るとき、それはやってくる

ここから「私を引き算」したとき、それはやってくる


そこには、“世界だけ”が残っている

その世界が、“自らやっている”

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本来の位置へ。

NO.195

私の首から下の身体を、世界に戻してあげよう

それで完璧な“ひとつの世界”が出来上がる

ピタッとパズルが組み合わさる

この世界が完成する
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“本当の未来”と云うものがあるとするならば。

NO.194

このまま進んで行けば「こう成るだろう・・」と、“未来”を予測してみても、
それらは全て「ハズレ」です。

「予測した未来」は、
「今までの経験」から割り出された「未来」であって、
それらは、”未来”などではなく、単なる「想像」です。

“本当の未来”と云うのは、“未知の領域”に在るものです。
“まったく新しいもの”です。

だから、たとえ「ほら、想ったとおりのことが起こったじゃないか」としても、
それらは「想ったもの」とは違っているのです。

そこにあるのは、“全く新しいもの”です。
そして、“生きているもの”です。


さて、
もし“本当の未来”があるとするならば、
それは、“ここ”にあります。

“ここ”の突端のきっかかり。

“冒険が踏み出している位置”。

そこに在る“何かもやっとした風情”が、“本当の未来”です。

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